否定的な事を言わなければならない

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主張や問題提起と言うよりは、私のメモであり、反省文のようなものです。

否定

私は常にプラス思考でありたいと考えていますし、元気になる言葉しか使いたくないと考えています。
そしてどんな問題も、自分を変えなければ何も解決しないと考えています。

しかし、どうしても良いものを求めるあまりに、他人の悪い所を否定してしまうことがあります。
気に食わないから悪い所を否定しているのでは無く、よくなってほしくて気付いてほしいから否定してしまうんですよね。
本当は否定的な事なんて言いたくないし、プラスの事を言ってより良いものを目指すために協力したいんです。
思いが強いものであればあるほど、恥ずかしながらそのような傾向があります。

例えば次のような、教員の質が下がっているという否定です。

いつの時代もひどい教員はいたんじゃないでしょうか? ただ、最近はニュースで教員の不祥事をよく目にするように思います。

否定は悪いことか

では否定的なこという事はが悪かと言うとそんなことないと思うんですね。
理想に近づけるために否定的なことを言うのは、悪口ではなく、批判です。
そのためには否定的なことを言うだけの根拠であったりは必要だと思います。

ただし、悪口の様に、矛先が誰かを向いていると、批判ではなくなってしまいます。
向いている方向は理想的な未来であり、そのための現実の否定である必要があるでしょう。
否定的なことを言う目的は攻撃ではなく、相手に気付いてもらい、改善してもらいたいためです。

別に教員が嫌いなわけではなく、人によっては大変なお仕事をされていると思う事もあります。
一部の質を下げている教員がいるから、それを直してもらいたくて否定してしまうんですよね。
向上心があるわけでもなく、こういったサイトを見て世の中の意見を知る事も無いでしょう。
ですから、否定したところで、何も変わらないのですが・・・。

時には言わなければならない

私は自分の中ではこのように思っていながらも、否定的な言葉を避ける傾向があります。
直接的な否定は避け、遠回しに気付いてもらう言葉を選んでいました。

自分で気が付かなければ本当の意味で人を変える事は出来ませんからね。
北風と太陽ではありませんが、太陽的なアプローチに偏りすぎていました。
更にその先の見本となる存在になる事で見習ってもらいたいと考えていました。

しかし、これでは気付いてもらえないんですよね。
みんながみんな、そういうアンテナが付いているわけではありません。
むしろアンテナがついていないから今まで堕落してきたので、アンテナを付けなければ聞く事もできません。
見せるだけ、遠回しな提案ではインパクトも無く、心に響かず、何も変わらない・・・。
ずっと北風の暴力で育ってきたのですから、急に太陽が出てきたら怠けてしまうだけなんですね。
救えない・・・。

本当ならその遠回しに与えている気づきから理解してほしいのです。
それは私のわがままであり、真に相手のためではない、偽善的な行動になってしまっているでしょう。
否定的な言葉になっても、相手に代わってもらうためには仕方がないのかもしれないですね。

まとめ

改めてこれは私のメモです。
太陽的な方向で頑張りすぎてしまったので、少し北風の強制するという楽なかかわり方も必要なんですよね。
要はバランスであり、そのバランスの社会の偏りが想像以上に北風よりであり、自分もそっちに少しよらなければならないという事です。

  • 否定だからと言って悪口ではない。事実を伝え改善を促すことも時には必要。
  • 相手にアンテナを付けてあげるところからの教育が必要。

ここまでお読みくださりありがとうございました!

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